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2017 Jan.26
Be Unique! ~オンリーワンであること~ Vol.22

〈夢を諦めない男 ルー大柴〉が波瀾万丈の人生を語る
“チェンジマインド”精神でマイウェイを切り拓く!

『Be Unique!』では、「オンリーワン」な人・企業を訪問。その価値と魅力に迫ります。なぜオンリーワンなのか、どうやってオンリーワンな存在になりえたのか…。そこにはきっと、ほかにはない「夢」や「ストーリー」があるはずです。

今回、お話を伺ったのは、英語混じりのポジティブトーク&ディープなキャラクターで人気を集めるルー大柴さん。最初のブレイクは34歳と、遅咲きのデビューでした。唯一無二のユニークな個性が誕生したエピソードから、50代になって“チェンジマインド”の精神で再ブレイクを果たした経緯まで、山あり谷ありの40数年を語っていただきます。読めば、挑む心にファイヤーがつくこと、請け合い!?

10代で日本を飛び出し、ヨーロッパ放浪へ。
経験した、親の離婚・相続問題・ガールフレンドとの永遠の別れ…

ルー大柴さん

ルー大柴さんといえば、「トゥギャザーしようぜ!」「一寸先はダーク」など英語まじりの“ルー語”が印象的です。この独特の話術が生まれた背景とはなんなのでしょうか?

「実家は印刷屋を営んでいたのだけど、父が英語、ロシア語、中国語を話せる人でね。『ストロベリー、イートしなさい』なんてふうに、ときどき英語混じりで話していた。それに、高校時代の彼女が帰国子女で、『リアリー?』『ユーが好き』とか、普通のジャパニーズとひと味ちがった。今思えば、あの頃から“ルー大柴”の原型ははぐぐまれていたんだね」

現在、まさにオンリーワンの存在として知られるルーさんですが、当時目指していたのは、意外にも異なる道だったとか…。

「僕は俳優になりたいってドリームがあった。でも、印刷屋の跡取り息子だったから、プレッシャーが大きかった。しかも当時、両親が離婚することになって、姉と異父きょうだいであることまで明かされて、とにかく早く家を出たかったんだよね。それでフリーダムを求めて、高校卒業後すぐヨーロッパ放浪の旅に出たんだ。

旅先ではロンドンからオランダ、デンマーク、スウェーデンをヒッチハイクしてめぐったね。最初は怖かったけど、ギターを弾いたり歌ったりして自分からオープンにしていったら、世界中から集まったヤングたちと仲良くなった。出会った人のハウスに泊めてもらうとか、フリーダムを満喫していたね。世界各地を公演でめぐる旅芸人になろうかな…なんて思っていたら、祖父が亡くなってジャパンに戻ることになったんだ」

ヨーロッパを放浪していた頃のルー大柴さんヨーロッパを放浪していた頃のルー大柴さん
ヨーロッパを放浪していた頃。ホースネイル(馬の釘)を加工した
自作のアクセサリーを売りながら旅を続けていた。
「いつか有名になったときのために」と撮りためていた写真。

夢いっぱいの旅生活から引き戻された先に待っていたのは、19歳の少年には、あまりにも過酷な日々でした。

「相続問題をめぐって親せき同士がブラッドみどろの争いを繰り広げて。父は離婚で家を出ていて、僕には頼れる大人がいなかった。さらに高校時代からのガールフレンドが突然、亡くなってしまった。それからノイローゼ状態になり、ガス管をくわえたこともあった。気持ち悪くなって、すぐやめたけど(笑)」

そこからの復活を支えてくれたのは、自身の抱いていた大きな夢だったとか。

「自分はあまりに弱い人間だと痛いほど感じたね。でも僕には『俳優になるんだ!』っていうドリームがあったはずだ。死ぬのはいつでもできる。バイマイセルフで生きて、夢に挑戦してみようじゃないかと思ったんだ」

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夢を追い続けて、気がつくと30代。
売れない役者から人気タレントへの転機

ルー大柴さん

家を出て6畳1間のアパートを借り、六本木のバーでボーイをしながら、本格的に俳優を目指し始めたルーさん。しかし待っていた現実は…。

「年に数回、3言ぐらいのセリフがある役をもらえる程度。そのうち今のワイフと出会って、27歳で結婚。パーティで『俺はあいつを幸せにするんだから、俳優を辞める!』って宣言してさ。でも、やっぱり諦められない。チャイルドが生まれてからも、バイトで稼いだお金を劇団に入れちゃったりしてズルズルと続けていたね。家族に心配かけて、正真正銘のクズですよ。クズ男と呼んでいただきたい(笑)!

そんなとき、今まで応援してくれていたおふくろに涙ながら言われたんだ。『女房子どもを泣かせるな!もう諦めなさい!』と。あの瞬間、大海のようにあったドリームが、針の穴ぐらいにしぼんで小さくなってしまった。

気がつくと30代。ドリームもマネーもない、ヤングでもない。惨めでしたね。それからは、ティッシュ配りからチラシのモデルまで、何のアルバイトでもやった。バット(But)、バブルで景気がよかったから、次第に食べていけるようにはなった。そんなとき、演劇学校仲間だった小堺一機くんの相方である関根勤さんから、1本の電話がかかってきたんだ。『ルー、ラジオに出てみない?』って」

これが、“ルー大柴”の誕生となる第一歩となったわけです。

「最初は『俺は別の仕事で食べていくんだから』と断ったんだ。でも、頼み込まれて1回だけ出ることに。それがウケちゃって。もしあのとき断っていたら、僕は今頃まだ、六本木でティッシュを配っていたかもね(笑)。

関根さんとの出会いは、演劇学校の稽古。僕が役になりきっていると、関根さんが客席で口を隠して笑いながら震えているの。こっちは真剣にやってるのに。それに、僕がアルバイトでやっていたモデルの宣材写真を見て、ゲラゲラ笑い転げちゃうわけ。自分の中ではばっちりポーズを決めているだけと思っていたのに。

今になって考えれば、役者を目指していた頃は、勘違いしていたんだろうね。シリアスに演じているつもりなのに、必死にやればやるほどコミカルになっちゃう。コメディ向きだったんだよ」

ご自身より先にルーさん資質を見抜いていたのは、関根さんだったのです。ここからルーさんの快進撃がはじまります。

「笑われるのは怖かった。けれど34歳になっていたから、もう後がない。そもそも僕は20代でフェイマスになっているはずだったんだ。『34歳のオヤジにいまさら何ができる?』って心の葛藤はあったよ。でも、意地が残っていたんだね。完全に諦めようとすると、反対した人たちの『それみたことか』という声が聞こえてくる。

とにかく1度でもいいから有名になりたい。それで自分の殻を全部破って、“ルー大柴”っていうパーソナリティになりきった。そのアクの強いキャラクターが受け入れられたんだね」

“ルー大柴”といえば、英語まじりのトーク、暑苦しいほどのポジティブなキャラ、そしてときおり垣間見せるナイーブな優しさ…。そのキャラクターは、ルーさんが隠し持っていた個性と、それまでの人生経験が相まってできていったわけです。

テレビの世界に突如として現われた“ルー大柴”は、瞬く間に人気者に。役者志望のフリーターから人気タレントになったとき、どう思ったのでしょうか?

「泣きました。『やったぞ、俺は!』って。まわりの態度も180度変わった。友だちも『お前はセンスがあった!』って。『もうやめろ!』と言ったおふくろまで、『あんたはやると思ってた』って言うんだから(笑)」

その人気も最初は半信半疑で、タレント活動とティッシュ配りのバイトを並行していたというルーさん。そのうち全局にレギュラー番組をもつほどになり、人気タレントとして多忙な日々が始まります。

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がけっぷちに立たされた50代。
芸能人生を変えた“チェンジマインド”とは?

ルー大柴さん

しかし、芸能界で売れ続けるのは難しいもの。2000年代前半、ルーさんも仕事が激減した時期があったそうです。

「キャラが濃いぶんイメージが一人歩きして、『嫌われタレント』のナンバーワン常連に。40代に入ると、番組レギュラーが徐々に減り、気がついたら全部なくなっていた。40代後半は舞台の小さな役で食いつないだ。ウィンターの時代到来でした。

51歳になって、新しく担当になったマネージャーに『若い人はルー大柴なんて知らない。このままじゃ浮上できない。やり方を変えましょう』と諫言されました。それから、チェンジマインドですよ!マネージャーと二人三脚を組んで、背水のフォーメーションで、新しい“ルー大柴”をメイクしようと決めた」

当時のルーさんは、芸歴20年近くに及ぶベテラン。それまでのやり方を変えるのは大変だったのでは…?

「仕事があることが当たり前になって、人気タレント扱いをされることに甘んじていた。でもそこからは、新人になったつもりで後輩の楽屋に挨拶に行き、台本はしっかり暗記して現場に入る。スタイリストもつけない、仕事も選ばない。個々の仕事を真摯にこなしていくようにしたのです。すると、チリも積もればマウンテンで、だんだんとスケジュールが埋まってくるようになった。

次はマネージャーに、ブログ始めるよう勧められたんだけど、50過ぎて無理だと言ったら『そんなんだから、ダメなんです!』って返されて。仕方なくいつものトークのように英語まじりで書いていたら、じわじわとヤングの読者が増えていったんだ」

やがてブログでの“ルー語”が話題になり、ルーさんのファンを指す“ルーマニア”なる言葉も生まれるまでに。出演オファーが増え、今ではバラエティのみならず、ボランティアや大学での教鞭、俳優業など活躍の場を広げています。

「山野美容短期大学では、英語コミュニケーションを教えるティーチャーを務めさせていただきました。ボランティア活動は、NHKの『みんなのうた』で子ども向けに『MOTTAINAI もったいない』ってソングを歌わせてもらったのがきっかけ。自分もやらなきゃって、近所のゴミ拾いや公園のトイレ掃除、富士山の清掃をやるようになったんです。

僕は、トークでくすっと笑ってくれる人がいるだけでありがたいと思っている。ボランティアもそれと同じ。知らない人と出会ったり、仲間と温泉や飲みに行くのも楽しい。『エブリバディ、トゥギャザーしようぜ!』って瞬間が好きなのかもしれないね」

俳優としては、2016年11月に、吉幾三さん主演の舞台で旅芸人の役を務めて脚光を浴びたルーさん。2017年は、宮本亜門さん演出・片岡愛之助さん主演のミュージカルに出演することが決まっています。いつのまにか、10代からの夢だった俳優にまで手が届いていたわけです。

「まさか僕が大物俳優の方々と舞台に立つなんて夢にも思っていなくて、寝耳にウォーターでしたよ! 今できることを全力でやって、『ルーを使いたい』と言ってくれる人に応えていたら、いつのまにか広がっていたんだね。つい1年前は若手ナンバーワンの愛之助さんと共演するなんてイマジネーションできなかった。…ということは、もしかしたら、次はハリウッドでアル・パチーノとトゥギャザーするかもしれないね(笑)」

ルー大柴さん

Information

『ルー炎上!恥かけ、汗かけ、涙しろ』(マガジンハウス)
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『ルー炎上!恥かけ、汗かけ、涙しろ』(マガジンハウス)/『ことわざ日めくり きょうのルー語(カレンダー)』(PHP研究所)ルー大柴さん
サイン入りの自伝は、d-laboミッドタウンで閲覧できます。
ルー大柴オフィシャルブログ「TOGETHER」

ルー語で滔々(とうとう)と語られる、ルー大柴さんの楽しい毎日はブログでウォッチできます。リアルタイムでルーを感じられる、ルー大柴オフィシャルツイッターもあわせてチェック!

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