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2016 May.18
Topic on Dream ~夢に効く、1分間ニュース~ Vol.134

パイロットに必要なのは「不断の努力」元ANAキャプテン井上博さんが語る「パイロットに求められる資質」とは

ジャンボジェット機

機長として空を飛ぶこと約2万1,500時間。国内線、国際線は言うに及ばず、訓練センター教官機長、査察機長と、幅広く活躍してきた元ANAのレジェンド・パイロット井上博さん。ここでは大空を飛ぶことを夢見る人たちに向けて、パイロットになるために大切なものは何か、どうすれば空を飛ぶ仕事に就けるのか、自らの体験も含めてお伺いしてみました。

初めての遊覧飛行で操縦桿を握った

コックピットの井上さん

昨年刊行された著書『機長!~飛行2万1456時間、きたえた翼に乗って~』に詳しく書いてあるとおり、井上さんが「パイロットになる」という「夢」を抱いたのは小学6年生のとき。その頃住んでいた下関の小月飛行場で「遊覧飛行」を体験したのがきっかけだったといいます。

「乗ってみるか、と誘ってくれたのは航空自衛隊で管制官をしていた父親。喜んで行った先の飛行場にとまっていたのは藤田航空のデ・ハビランド・ヘロンという四発プロペラ機でした。真っ先に機内に乗り込むと、コクピットに乗っていた40歳くらいの機長さんが「ぼく、おいで」と副操縦席に座らせてくれたんです」

離陸した飛行機は当時完成したばかりの若戸大橋上空へ。そこで井上さんは機長から「やってごらん」と操縦桿を預けられることに。「左右にまわせば曲がるし、引っ張ると上がるよ」という言葉のとおり、操縦桿を操ってみると飛行機は旋回したり上昇したり。「すごいなあ」と興奮する井上さんに、機長は「ぼくは才能がある。将来はパイロットになれよ」と言ってくれたとか。

「でも、よく考えると操縦桿は左右両方とも同じ動きをするんですよね。僕は自分でやっているつもりだったけれど、本当はキャプテンがアシストしてくれていたんです」

いまでも惜しまれるのは「その機長さんの名前を聞かなかったこと」。なぜならば、その後、藤田航空は井上さんが入社する全日空に吸収合併されたから。

「遊覧飛行から10年後、僕がパイロットになったとき、あの機長さんはまだ現役で全日空の機長をしていたはずなんです。もう一度会って御礼が言いたかったんですけど、残念なことに最後まで名前がわからずじまいでした」

新聞で見つけた全日空の「自社養成」

井上さん インタビューの様子

中学、高校では「将来は世界で働ける商社勤務がいいかな」と考えていたという井上さんですが、心のどこかには常に「パイロットになりたい」という「夢」があったといいます。近視になったときも「これではパイロットにはなれない」と眼科に通って視力を回復。高校1年のときには、はっきりと「パイロットになる」と決意します。

「受験雑誌の『蛍雪時代』に全日空の副操縦士の手記が載っていたんです。三本線の制服や乗務しているボーイング727がかっこよくて、自分でもこの飛行機に乗りたいと思いました」

そのときの記事で見た「憧れの先輩」とは時を経ること22年後、パリ便の飛行機で同じクルーとして乗りあわせたといいます。

「先輩に雑誌の手記のことを話したら、あれを読んでくれたのかとすごく喜んでくれましてね。楽しいパリ滞在になりました」

当時、若者がパイロットをめざすにはいったん大学に2年まで行ってから航空大学へと入学するのが一般的なコース。井上さんもそのつもりで受験勉強に励んでいました。

「ところが、浪人中のある日、新聞で全日空のパイロット募集広告を見つけたんです」

そこには「自社養成」の四文字が。その頃の全日空は国内線しか飛んでおらず、世間では日本航空の子会社と間違われることもしばしば。しかし、井上さんにとってはまさに受験雑誌で知った最高の航空会社でした。

「入社すればお金がもらえてパイロットの訓練もしてくれるだなんて、こんなにいい話はないと飛びつきました」

パイロットにもっとも必要なのは「体力」と「精神力」

井上さん インタビューの様子

パイロットの自社養成は現在も行なわれている制度。今と違うのは井上さんの時代は高卒も対象になっていたことでした。

「父には今から入れば20代でキャプテンも夢じゃないぞと励まされました。ただ母には反対されました。パイロットになれずに地上勤務となった場合、大卒の人たちから遅れをとるのではと心配されたんです」

しかし、井上さんは一次から五次に渡る厳しい試験を見事パス。晴れて全日空に採用されました。

同期は8人。最初の1年間は大阪の八尾訓練所で単発のプロペラ機に200時間乗って自家用航空機の免許を取得。その翌年はアメリカのサンディエゴ郊外にあるブラウンフィールドで訓練。事業用免許を手に日本に帰国したあとは、さらに1年間の路線訓練。計3年間の訓練を経て、22歳のときにプロペラ機の「フォッカーF27フレンドシップ」の副機長に昇格。その後は国産旅客機として有名なYS-11、「夢のジェット機」と呼ばれたボーイング727、「ジャンボジェット」の愛称で親しまれたボーイング747の機長として日本の、そして世界の空を飛び回ることになります。その間には747の教官や自社の機長たちを試験する査察機長も体験。60歳の定年後も65歳まで飛びつづけ、ついには飛行2万時間を記録した「レジェンド・パイロット」になります。

「同期のうち2人は訓練期間中にエリミネート(失格)。他の仲間も先にリタイアし、65歳まで飛ぶことができたのは私ともう1人だけでした」

井上さんが65歳まで飛べた理由、そこには「パイロットに求められる資質」が深く関わっています。

では、「パイロットに求められる資質」とはどんなものでしょうか。

「何よりも大事なのは体力と精神力。とくに国際線では、どこででも寝られる、というのが強味になります」

国際線でパイロットを悩ますのが時差(ジェットラグ)。これで体のリズムを崩してしまうパイロットは少なくないといいます。だから休憩中の機内でもホテルでも「寝よう」と思ったらぱっと寝られるような人でないと国際線のパイロットは務まりません。

パイロットのライセンスが医師免許や弁護士の資格と違うところは「永久ライセンスではないところ」。全日空の場合、技量チェックは半年に一度。身体検査も半年に一度。これをパスしないと飛びつづけることはできないのです。

「パイロットになってよかった」と思う瞬間

そしてもうひとつ大切なのは「勉強好きであること」。なぜならばパイロットの仕事は勉強の連続。新しい飛行機に乗ることになれば、その飛行機のことや路線のことを学ばねばなりません。一方、気になる英語はというと「そんなに心配はしなくていい」というのが経験からくる井上さんの意見。

「僕も高校卒業程度の語学力しかなかったけれど、アメリカでの訓練中はどうにかついていくことができました。こっちも教官も目的はライセンスを取ることですから、お互いに何とかしようとコミュニケーションを取るわけです」

パイロットというと誰もが流暢な英語を話すようなイメージですが、「けっしてそんなことはない」のだとか。ただし英語に関しては2008年から国交省が「航空英語能力検定」を義務化。これもまた不合格では国際線のパイロットとしては失格。英語の能力は高ければ高いほどいいといえます。

45年にも及ぶパイロット生活を振り返ると、「今と昔とではパイロットに求められる能力も変わってきました」と井上さん。

「昔のパイロットには反射神経とか戦闘機乗りみたいな能力が求められていたし、僕が乗ったフレンドシップやYS-11のようなプロペラ機にはいざというとき人力で操るようなところがありましたが、今のパイロットにはマニュアルどおりに飛べるか、コンピューターに間違いなく情報をインプットできるか、アウトプットはできるか、とそういった資質がより望まれるようになりました」

いずれにしても大切なのは、健康と勉強、そしてそれを持続させる精神力。まさにパイロットには訓練生時代から引退に至るまで「不断の努力」が必要です。

井上さんが「パイロットになってよかった」と思う瞬間、それはやはり「空を飛んでいるとき」だといいます。

「空は世界中どこでも上がってしまえばとてもきれいです。そこには騒音もないし、平和そのものです。本当に鳥になった気分です。この職業を選んでよかったなと思う瞬間ですね」

航空業界が活況の現在、優秀なパイロットは引く手あまた。この素敵な職業をめざす若い人々に井上さんの言葉を贈りたいと思います。