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2015 Feb.5
Topic on Dream ~夢に効く、1分間ニュース~ Vol.63

今話題の谷根千エリアでゆかりの文化人たちにふれる

今話題の谷根千エリアでゆかりの文化人たちにふれる

谷根千エリアといえば、文京区ならびに台東区にある谷中・根津・千駄木を指します。歴史と情緒ある町並みだけではなく、最近では雑貨屋やカフェなどの個性的でお洒落なお店も増え、週末には多くの散歩客で賑わいます。谷根千は、世界一の旅行ガイドブック・ロンリープラネットでも紹介されているほど。そんな谷根千エリアですが、実は多くの文化人ゆかりの地でもあります。お目当ての雑貨屋を訪ねる折には、かつてこの地で活躍した文化人の足跡を辿ってみてはいかがでしょうか。

森鴎外が30年間過ごした団子坂上の観潮楼〈かんちょうろう〉

明治25年から大正11年まで森鴎外が暮らした観潮楼と呼ばれる家が、千駄木の団子坂上にありました。現在では文京区立森鴎外記念館となっているこの地は鴎外の文学活動の中心地で、小説『高瀬舟』や翻訳書『即興詩人』など多数の作品を生み出しました。

戯曲家、評論家、軍医など幅広い活動で知られる鴎外ですが、様々な分野で批判や論争が絶えなかったため、雑音を避けるようにしてこの千駄木の高台に家を建てたのです。当時はこの観潮楼の2階から、遠く東京湾が望めたと言われています。もちろん現在は海を見ることはできませんが、森鴎外も歩いた団子坂を上れば、感慨もひとしおのことでしょう。

森鴎外……1862~1922。小説家・戯曲家・翻訳家・評論家・軍医・帝室博物館総長。主な作品は、『舞姫』『雁』『山椒大夫』。

森鴎外記念館……東京都文京区千駄木1丁目23−4

根津・千駄木での下宿生活中に『伊豆の踊り子』を生んだ
下宿マニア川端康成

今でも谷根千エリアには、共同玄関の古いアパートが散在します

大阪生まれの川端康成ですが、旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)に進学のために上京。大正10年から15年頃まで谷根千エリアで過ごしました。この時期の康成は、下宿マニアと言われるほど下宿を転々としていたそう。後にノーベル文学賞を受賞する小説家となりますが、新人時代には根津や千駄木周辺の5箇所で下宿生活を送ったと言われています。

康成の出世作といえば『伊豆の踊り子』ですが、同作は大正15年1月に発表されています。つまりこうした放蕩(下宿)生活の中で生み出した作品なのです。今でも谷根千エリアには、共同玄関の古いアパートが散在します。当時の康成の姿を思い浮かべながらこれらの建物を巡ってみては?

川端康成……1899~1972。小説家。主な作品は、『雪国』『千羽鶴』『古都』。1968年にノーベル文学賞受賞。

住宅街にひっそりと佇む
近代日本画に多大な影響を与えた岡倉天心の史跡

岡倉天心宅跡・旧前期日本美術院跡

JR日暮里駅から谷根千エリアに向かうと谷中銀座に下る階段“夕焼けだんだん”があります。この階段を下りて最初の交差点を左に曲がると左手に見えてくるのが、岡倉天心宅跡・旧前期日本美術院跡です。

天心は横山大観らと「本邦美術の特性に基づきその維持開発に図る」という目的をもって日本美術院を創設し、近代日本画に多大な影響を与えました。当地に建てられた美術院は、明治31年から明治39年まで岡倉天心らの活動の拠点となっていたそう。こういった史跡が、住宅街の一画にひっそりとあるというのも谷根千エリアの魅力の1つです。宝物探しのような感覚で散策してみるのはいかがでしょうか。

岡倉天心……1863~1913。思想家・文人・哲学者。主な作品は、『日本美術史』『東洋の理想』『悲母観音』。

岡倉天心記念公園(岡倉天心宅跡・旧前期日本美術院跡)……東京都台東区谷中5−7

ここで取りあげた3人以外にも、谷根千エリアに関係の深い文化人たちはたくさんいます。高村光太郎、江戸川乱歩、幸田露伴、平塚らいてう、狩野芳崖、三遊亭円朝……。挙げればキリがありません。この地にゆかりを持つ文化人たちの息遣いを感じに、散策してみてはいかがでしょうか。

参考文献:『文京ゆかりの文人たち』(文京区教育委員会)
台東区文化ガイドブック