d-labo

SURUGA d-labo. Bring your dream to reality. Draw my dream.

イベントレポート

イベントレポートTOP

2017年9月30日(土) 13:30~15:00

佐々木 健(ささき けん) / 株式会社 茶来未 代表取締役・茶師

北野エース × d-labo静岡 タイアップセミナー
「目からウロコの日本茶講座」お茶はもともと薬だった!日本茶の裏話!!

神奈川県の寄(やどりき)という地域にある1,800坪の畑で自らお茶を栽培しつつ、神奈川県藤沢市の店舗兼工場『茶来未(ちゃくみ)』で、お茶の加工・製造・販売を手がける茶師・佐々木健氏。佐々木氏は世界緑茶コンテストで2009年と2013年に最高金賞とパッケージ大賞をダブル受賞した。また、日本最古の茶園を有する山王総本宮日吉大社の名誉茶師も務めている。
今回のセミナーは、佐々木氏による日本茶の歴史や知られていない小話から、急須の使い方、お茶の淹れ方といった実践的な内容まで盛りだくさん。佐々木氏自ら淹れた、掛川茶と本山茶の試飲も行なわれた。

日本茶文化の普及に貢献している佐々木氏

佐々木氏の工場では、荒茶(=蒸した茶葉を揉み、乾燥させたもの)を12種類に分類し、日本茶に仕上げていく。一般的には、6種類程度の分類にとどまるところを、12種類まで分類するのは、佐々木氏のこだわりによるもの。分類したものを一窯ずつ火入れすることで、部位それぞれの特徴を最大限に引き出すことが可能なのだ。
佐々木氏は、栽培・収穫から荒茶加工、焙煎、袋詰め、販売およびお茶の加工まで担い、6次産業を実現している。普段は、畑か工場で作業をしているそう。
「畑から販売、そしてこういったセミナーで話までできる茶師は、まだ数があまりいないようで、テレビ番組などのメディアへの出演の声がかかることもあります。日本茶の魅力を少しでも広められたらと思い、出演させていただいています。」

最初に、佐々木氏から参加者へ問いかけがあった。
「ご自宅に急須がない方はいらっしゃいますか?」
茶どころ・静岡での開催だけあって、参加者の全員が自宅に急須を所有しているようだ。しかし、最近はペットボトルの普及に伴い、急須で淹れたお茶を飲む家庭が減少している。佐々木氏は、できるだけ多くの人に“本物の日本茶”の魅力を伝えるための活動もしているのだ。

日本茶の歴史について学ぼう

お茶の発見は、紀元前2700年頃と言われている。中国・漢の時代(紀元前100年頃)の医学書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』の記述によると、お茶は薬と考えられていたようだ。
日本への伝来は、805年に最澄(さいちょう)が唐よりお茶の種を持ち帰り、山王総本宮日吉大社(滋賀県)に植えたのが最初とされる。しかし、遣唐使の廃止を機に、一度茶文化は廃れる。その後、1191年(鎌倉時代)に栄西(えいざい)が宗からお茶の種を持ち帰り、茶文化が再興。栄西は、京都府の栂尾山高山寺(佐賀県の霊仙寺という説もあり)にお茶の種を植え、これが日本各地に広まっていく。

現在では、日本国内のお茶は、静岡が40%、九州が30%、残りが京都や神奈川などで生産されている。国内トップシェアを誇る静岡茶にはどのような由来があるのだろうか。
静岡茶は、現在の静岡市葵区出身の聖一国師(しょういちこくし)が、鎌倉時代に宗から持ち帰った種を足久保地区(静岡市葵区)に植えたのが始まりとされる。
「静岡市内各所には、聖一国師ゆかりの地があるので、辿ってみるとおもしろいですよ」と佐々木氏は話す。
お茶の普及に何よりも貢献したのは、徳川家康。駿府の城下町に茶町(静岡市葵区)を形成し、安倍茶(今の本山茶)を集め、江戸への流通を支援した。

その後、日本の茶文化はヨーロッパにも伝わっていく。1690年にオランダの船医として、長崎の出島に滞在したドイツ人医師・博物学者のケンペルは、日本の歴史・言語・物産などの資料を集め、『日本誌』を記す。ケンペルは、各地でふるまわれたお茶に興味を持ち、お茶の由来や、栽培方法、製茶方法、保存方法、喫茶方法、効能、茶道などについても記述を残している。この本は、英語、ドイツ語、オランダ語およびフランス語などで刊行され、多くの知識人に影響を与えたそうだ。

鎌倉時代に広まったお茶文化だが、江戸時代のお茶といえば抹茶を意味していた。抹茶は、上流階級の嗜み(たしなみ)となるので、庶民は煎茶を口にしていた。それも、当時は製法が確立しておらず、茶色のお茶だったそうだ。
江戸時代中期になり、宇治の永谷宗円が「青製煎茶製法」を確立。現在のような緑色の煎茶が普及する。なお、宗円の子孫は、お茶漬けで知られる『永谷園』を創業。宗円の取引相手である『山本山』は、宗円の煎茶で大きな利益を得て、現在もその名を残している。

「お茶の歴史を調べていくと、こういった意外なつながりが見つかり、なかなか奥深いものです」と佐々木氏は話す。
幕末には、アメリカにも日本の茶文化が伝わった。アメリカ海軍・ペリーの「日本には、西洋のコーヒーのような飲料はないのか」との問いに対し、幕府の応接役は持参していたお茶を出した。ペリーはお茶を気に入り、「公益開きたる時、米国に輸出される物産はこの茶なり」と賞賛。お茶は横浜から生糸とともに輸出され、「緑の宝石」と称されるほど日本経済の礎(いしずえ)となった。
そして、昭和30年代~40年代頃の高度経済成長期、静岡県牧之原台地で、深蒸し茶の製法が確立される。おいしいお茶には、おいしい水がかかせないが、当時の水質はあまりよくなかった。深蒸し茶は、水が悪くてもおいしいお茶が飲めると人気に。また、黄色がかった水色の煎茶に対し、深蒸し茶の水色はきれいな緑色だったのも人気の理由だ。

おいしいお茶の淹れ方を知ろう

伝来当時は薬として考えられていたお茶だが、近年では、健康効果のほかにリラックス効果があることも広く知られている。「さあ、お茶にしましょう」という言葉があるとおり、今やお茶は嗜好品。お茶の歴史を学んだ後は、実際に3人の希望者に体験してもらいながら、おいしいお茶の淹れ方を教えていただいた。

【おいしいお茶の淹れ方(3人分)】
[分量]茶葉6g/沸騰させたお湯(70℃まで冷ます)180cc
[抽出方法]普通煎茶は1分、深蒸し煎茶は30秒蒸らし、分量・濃さが圴一になるように回し注ぐ。

【お茶の淹れ方についてのポイント】
●お湯は、器を移すたびに約10℃温度が下がる。90℃のポットのお湯を使うのであれば、湯飲みから急須へ移せば70℃の適温になる。やかんで沸かしたてのお湯を使うのであれば、湯冷まし用の器を用意するとよい。
●急須内にお湯が残っていると、2煎目を淹れる際に、苦味が出てしまう。そのため、急須に注いだお湯は出し切る。その後は、急須の裏側を軽く手でポンと叩くと、茶葉の位置が動き、蒸らしすぎを防ぐことができる。
●急須を購入した際、注ぎ口の部分にゴムキャップがついていることがある。これは、流通時の割れ防止のためのもの。カビが繁殖しやすいので、購入後は必ず外す。
●急須のふた部分にある通気口は、注ぎ口と、ふたの取っ手部分の間にくる位置に持ってくると、急須内でお湯が対流しておいしいお茶を淹れることができる。
●急須は、日本製のものがベスト。ステンレスの網は、お茶と相性が悪いことを念頭においておくとよい。かご綱をセットするタイプの急須は、使い勝手はよいが、茶葉の対流を妨げるので、できれば陶器茶こしを手に入れておくとよい。

【参加者からの質問】
Q. お茶の保存方法は?
A. 開封前であれば冷凍庫で保存。飲む前に常温に戻し、開封後は密閉状態にし、湿度が少ない冷蔵庫で保存。

Q. 番茶と、ほうじ茶の違いは?
A. 新茶を摘んだあとに収穫する2番茶、3番茶を一般的に番茶という。ほうじ茶は、煎茶や番茶を焙じたもの。しかし、京都、北海道、石川など、ほうじ茶を番茶と呼ぶ地域もある。

Q. 茶葉の販路拡大にはどうしたらよいか。
A. 食の欧米化が進み、若者の味覚が変化したため、従来の日本茶が好まれなくなってきている。ソフトクリーム、抹茶ケーキなど、抹茶パウダーの普及を含め、お茶を加工して若者の味覚に合う商品を開発していく必要がある。


「近年の日本の食料自給率は、40%だそうです。39歳以下の農家は7%。このままでは、国産野菜・お茶は、いずれ手に入らなくなってしまいます。世界に日本茶文化を発信することで、農業に価値を生み出し、就農を促していけたらと思っています。」佐々木氏は、そんなふうに夢を語る。

会場の参加者の様子からすると、お茶どころ・静岡県民であっても、おいしいお茶の淹れ方を知っている人は意外に少ないようだった。ましてや、歴史を知っている人は、さらに少ないはず。2020年の東京オリンピックの開催に向け、「おもてなし」が見直されている今、改めて日本茶文化を考え直してはいかがだろうか。そして、機会があれば、ぜひ周囲の人や子どもたちに、本来のお茶の楽しみ方を継承していってほしい。 文・河田 良子

講師紹介

佐々木 健(ささき けん)
佐々木 健(ささき けん)
株式会社 茶来未 代表取締役・茶師
大学卒業後、調理の修業を経て料理人としての手腕を確立。独立後、飲食店を多数展開する。調理の技術を応用した「一二微細分類製茶法」を駆使し、世界緑茶コンテスト最高金賞&パッケージ大賞2度の受賞など受賞歴多数。自社茶園を六反(約1,800坪)管理し6次化産業を実践する傍ら、最澄ゆかりの日本最古の茶園を有する「日吉大社」の名誉茶師も務める。