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イベントレポート

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2017年7月18日(火)19:00~20:30

山口 由美(やまぐち ゆみ) / ノンフィクション作家

富士屋とアマンリゾーツ ~知られざるリゾートの歴史秘話~

日本を代表するクラシックホテル、富士屋ホテルと、アジアンリゾートブームの象徴として世界のリゾートのあり方を変えたアマンリゾーツ。時代的にも地理的にも、一見、何のつながりもないように見える二つのリゾートを結ぶ秘話があることをご存知だろうか。本セミナーは、それぞれのリゾートが成立、発展した歴史的背景を探りつつ、日本とアジアのリゾートをめぐる知られざる物語を紹介。そして、講師のデビュー作『箱根富士屋ホテル物語』から代表作である『アマン伝説』に至る、一連のノンフィクションが誕生した経緯についてお話しいただく機会となった。

『富士屋ホテル』の「花御殿」をつくった山口正造

曾祖父は箱根富士屋ホテルの創業者。自身はノンフィクション作家として同ホテルをはじめとする日本のクラシックホテル、そして最近では東南アジアを代表するリゾートホテルであるアマンリゾーツについての著作を出版してきた山口由美氏。このセミナーでは富士屋ホテルとアマンリゾーツ、2つのホテルの共通点や、取材を通して歴史を辿ることで見えてきた両者の意外のつながりについてお話していただいた。

富士屋ホテルの創業は1878年(明治11年)。横浜出身の山口仙之助が開業したホテルは、外国人向けホテルとして評判を呼び、現在に至るまで箱根を象徴するリゾートホテルとして人気を博している。和洋折衷の花御殿や館内の各所に漂うエキゾチックな雰囲気はこのホテルならではのもの。実はこの、富士屋ホテルを富士屋ホテルたらしめている独特のテイストは、「実質的な二代目(公式には三代目)」である山口正造がつくりあげたものだという。

「富士屋ホテルについて語るとき、キーパーソンとなるのがこの山口正造です」

山口正造の生年は1882年(明治15年)。日光金谷ホテルの次男坊として生まれ、後に富士屋ホテルの婿養子となった人物だ。山口氏から見ると「大伯父」にあたる存在。若い頃はアメリカ、ヨーロッパを単身放浪、現地では柔道のデモンストレーターとして活躍したという。「人を喜ばすのが大好きな性格」は「ホテルマン向き」。趣味は旅で、富士屋ホテルに来てからも冬のオフシーズンには東南アジアや南洋地域に足繁く出かけ、現地で仕入れたものや見聞きしたものをホテル経営に取り入れていったという。

「寺社建築のような外観に、中は洋風の客室という花御殿は正造ならではのアイディア。だいたい『富士屋ホテル』に来て、おっと感じるようなものは正造の考えたものだと思って間違いありません」

「ミサキハウス」に通っていた若き日のエイドリアン・ゼッカ

 一方のアマンリゾーツを語る上で欠かせないキーパーソンといえば、なんといっても創業者のエイドリアン・ゼッカ氏だ。名前こそヨーロッパ系だが、流れている血はほとんどがアジア系。インタビュー嫌いで自らの出自を語らないことで有名な人物だが、山口氏が著作のために取材したときは「ノリノリで話してくれました」という。

「というのも、正造の旅行記を調べてみると、ジャワでエイドリアン・ゼッカの生まれ故郷であるスカブミを訪れていたことがわかったんです。それを伝えたからだったのです。」

 1933年生まれのエイドリアン・ゼッカはジャワのスカブミの出身。一家は、代々現地でゴムのプランテーションや貿易、ホテル経営などのビジネスを手掛けていた。エイドリアンはそのゼッカ家の3男。彼が生まれる5年前に正造はスカブミを訪れていた。

「しかも泊まったのはゼッカ家の経営するヴィクトリアホテル。何を思ったか、現地で散髪もしたらしいのですが、その床屋もエイドリアンが子どもの頃に通っていた床屋だったそうです。」

 エイドリアンは長じて後、アメリカのコロンビア大学に留学。インドネシアに帰国してからはジャーナリストを職業とする。23歳のときには来日し、約2年間東京に滞在。当時の日本は「石原慎太郎の『太陽の季節』の時代」。若いエイドリアンは「太陽族の外人版みたいな感じで、白いスポーツカーにガールフレンドを乗せては走り回っていた」という。その頃の彼が週末のたびに出かけていたのが三浦半島にある「ミサキハウス」だ。当時の外国人記者たちのたまり場だった和風モダンの洒落た別荘は、振り返ってみるとロケーションやそのコンセプトがアマンリゾーツに通じるものがあるという。

「アマンリゾーツの最初のホテルで1987年に開業したプーケットの『アマンプリ』は、ビーチを臨む高台に建っているところがミサキハウスにそっくり。アマンリゾーツの原点のひとつはこのミサキハウスにあったようです。」

リゾートにその土地の文化や伝統建築を取り入れる

アマンリゾーツの特徴は「小規模でヴィラスタイル」のホテル。それまでの高級リゾートといえば大型ホテルが中心だったが、熱帯に即したヴィラスタイルのホテルはたちまち世界を席巻し、それまでのリゾートホテルの形を一変させた。こうしたスタイルのヒントとなったのが、エイドリアンにとってもうひとつの原点であるバリ島との出会いだった。バリ島で、エイドリアンは兄の友人であるウィヤ・ワォルントゥが建てた「トロピカルブティックリゾート」のタンジュンサリや、彼とオーストラリア人アーティストのドナルド・フレンド、スリランカ人建築家のジェフリー・バワが開発した別荘地のバトゥジンバを目にする。バリ島のリゾートの元祖といえるタンジュンサリやバトゥジンバに共通しているのは、その土地の文化や建築様式を巧みに取り入れている点。外国からの旅行者はそうした宿に泊まることによって、その土地らしさを味わうことができる。エイドリアンが設立したアマンリゾーツの原点にこうしたリゾートの考え方がある。

「その土地のカルチャーを取り入れた点では富士屋ホテルの花御殿も同じ。エイドリアンと正造は生きた時代こそ違いますが、似ているところがたくさんあります。」

 性格的にも二人はよく似ている。正造もエイドリアンも「遊ぶのが大好き」。エイドリアンは、ビーチリゾートの開発であれば「まず自分が水着になってそのビーチで泳いで、そこがリゾートにふさわしいかどうか確かめる」という。

「経営者がこういう人だから、アマンリゾーツはロケーションが抜群なんですね。」

エイドリアン自身は現在、アマンリゾーツの経営から離れているが、今年になってラオスの古都であるルアンパバーンに最新ホテル『アゼライ』をオープン。ここでもコロニアル建築に現地のカルチャーを取り入れたテイストが旅行者に好評だと報じられている。

 「ホテル屋の娘」である山口氏。心の底にある「夢」は「ホテル経営に関わること」だ。

「ホテル屋の娘だからこそホテル業の厳しさは知っていますが、たとえばコンサルなど、どんな形でもいいからやってみたいですね。」

講師紹介

山口 由美(やまぐち ゆみ)
山口 由美(やまぐち ゆみ)
ノンフィクション作家
神奈川県箱根町生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。旅とホテルを主なテーマにノンフィクション、紀行、エッセイなどを執筆。主な著書に『箱根富士屋ホテル物語』、『アマン伝説創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命』、『百年の品格 クラシックホテルの歩き方』、『熱帯建築家 ジェフリー・バワの冒険』など。日本旅行作家協会会員。