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2014年5月27日(火)19:00~21:00 

村上 祐資(むらかみ ゆうすけ) / 極地建築家

極地の暮らしかた。明日の作りかた。

およそ100年前、私たち人類は地球最後の未踏の大地である『南極大陸』に進出した。南極大陸横断を目指した探検家アーネスト・シャクルトンのこの短い隊員募集広告に対し、約5千名もの男たちが名乗りを挙げた。

「求む男子。至難の旅。 僅かな報酬。極寒。暗黒の長い日々。絶えざる危険。生還の保証無し。
成功の暁には名誉と賞賛を得る。」──アーネスト・シャクルトン

そして100年が経ち、かつて生還の保証の無かった旅は、必ずや生きて戻らなければならない旅となった。ようやく地球最果ての地にも、ありふれた日常の暮らしが訪れ、今日も南極大陸のどこかで、私たちと同じ人類がいつもと同じ日を迎えている。しかし「明日の始まりが、今日の終わりと同じとは限らない。」極地とはそういう過酷な場所。そういう過酷な環境の中で日常を営むための工夫とはいったいどういうものなのだろうか? マンガ『宇宙兄弟』にも出てくる「閉鎖BOX」から南極やエベレストまで、極地で生活した経験から得た「明日の作りかた」について極地建築家の村上氏にお話しいただいた。

目標は誰でも住める「月面基地」の建設

村上祐資氏の専門は「極地建築」。これまでに第50次日本南極地域観測隊に越冬隊員として参加、エベレストやシシャパンマのベースキャンプ、富士山測候所などの極地経験、また筑波宇宙センターの閉鎖環境適応訓練施設での閉鎖実験にも加わるなど、「極地での暮らし方」について研究と実践を重ねてきた。極地というと「探検家」のイメージが強いが、村上氏の仕事は「建築家」。「探検家はアスリートだけど、僕は小学校のマラソン大会で女の子に抜かれるようなへなちょこです」と笑う村上氏の目標は、やがて実現するであろう月面基地の建築。そこにはかつての探検家たちが覚悟した「死」があってはならない。こうした極地建築は「へなちょこの僕がつくったものだからこそ誰もが住めるもの」でなくてはならない。これには南極観測隊が50年の積み重ねを経て得た生活のノウハウや冒険家とは違う「普通の感覚」が役立つという。
「越冬隊のいちばんのミッションは生還の保証のない冒険ではなく生きて帰ること。今回は極地という距離的にも時間的にも遠い場所で暮らすための話をしたいと思います」
はじめに村上氏が引用したのはインド人の宇宙建築家による次の言葉。“宇宙の全ての側面は、人間を殺害するためにいかなる時点でも関係している” 要するに宇宙空間は「おそろしい場所」。もしそこに住むとしたら、人は「建物に命を託す」ほかない。村上氏は宇宙建築に携わる前に、まず「命を託す経験を積みたい」と、南極の昭和基地へと行った。そのときにイメージしたのは、皮をむかれた玉葱のような「剥き出しの衣食住」。皮を剥いたあとに残った芯の部分が何かさえ理解できれば、それは世界中はもちろんのこと、自分が目指す宇宙でも通用するはず。そう考えて 13か月間の現地でのミッションに取組んだ。

宇宙と南極、どちらが遠いか

越冬隊での仕事は地球物理観測。これ自体は専門ではなかったが、その間、常に頭にあったのは極地での暮らし方。外は零下40度。ひとたびブリザードが吹けば自分の手のひらさえ見えなくなる苛酷な南極の環境で、人が暮らしていくのにもっとも大切なものは何か。玉葱の皮をむいていった末に待っていたのは「何も残らなかった」という事実だった。これには「途方に暮れた」。
「実は僕は〈極地〉というものを勘違いしていたんです」
英語で極地を表現すると、“insulation”と“ isolation”という2つの単語がイメージされる。前者は「保護する」、後者は「隔離する」。
「僕は最初、南極というのはとても厳しい後者の世界だと思っていたんですね」
だから答えを見出すことができなかった。しかし実は居住者として暮らしてみた昭和基地は、前者の思想からなっていた。60棟の建物をつなぎ合わせて形成されている昭和基地は、他の国の基地と比べると「ごちゃごちゃとしていて」、外見的にはけっして洗練されているとは言えない。だが、実際に住んでみると、そこは快適な空間だった。50年間に渡る越冬隊の知恵と経験の蓄積が、そうした居住空間を作り上げていた。
冒険家と普通の人は違う。冒険家とは「すべての装備を知恵に置き換える」ことができる人々。たとえば雪の中であれば、テントは持たずに雪洞を掘って夜を過ごす、といったように、装備は軽くして知恵でしのぐ。
「それに対し僕は普通の人。月面基地をつくるなら、すべての知恵を装備に置き換えて、安全に暮らせるものをつくる。これが自分の仕事だと思っています」
南極に渡るとき、村上氏は知人である宇宙飛行士の向井千秋氏に「宇宙よりも遠いところに行くんだから頑張ってね」と言われたという。逆なのでは、と思える言葉だが、「時間」というものを見たとき、それが正しいことだとわかる。宇宙飛行士の宇宙での滞在時間は長くても半年。それに対し南極越冬隊は13か月。どちらも同じ「極地」と考えれば、精神に及ぼす影響は南極の方が大きいはずだ。実際、1年以上に渡る基地での生活では、精神が落ち込むことが幾度かある。そのなかで、おかしな行動をとってしまう隊員もいたりする。もちろん、南極越冬隊の50年の蓄積には、そうした状況への対処法も含まれている。ともすれば忘れてしまいそうな「曜日」を大切に扱い、花見や正月など日本の季節に合わせたイベントを行なう。そうやって隊員全員で極地での生活を乗り切っていく。
「時間の数え方というのは宇宙よりも南極の方が蓄積がある。だからNASAには、僕を宇宙に連れて行け、と言いたいですね」

月面基地は昭和基地をモデルに

村上氏は現在、NASA・ハワイ大学が計画する〈HI-SEAS(マウナロア火山)〉ミッションと、米Mars Society が計画する〈Mars Arctic 365(北極デヴォン島)〉ミッションの、二つの国際疑似火星居住実験クルーの最終選抜候補者である。もしどちらかが決定すれば、外界から隔絶された12か月間の「火星ごっこ」が待っている。クルーに選ばれることを想定して企業とともに「アストロファーム」を準備中だ。これは宇宙で野菜を栽培するというもの。すでに実績のある水耕栽培のシステムを極地である「火星ごっこ」の環境下で検証してノウハウを積み、NASAに採用してもらおうというのが「僕の企みです」。
セミナー終盤、村上氏が見せてくれた画像は、5300年間に渡って南極のペンギンたちが子育てをつづけているルッカリー(営巣地)の写真。ペンギンが巣をつくるのに必要なのは小石。つまり、この営巣地の小石は5300年間繰り返し使われてきた「建材」と言える。村上氏はこれを見たとき「昭和基地が納得できた」という。昭和基地の建物もその大半は解体や移設と繰り返しながら使われてきたものばかり。そして宇宙での建築は、月や火星など距離が遠くなるほど建材を現地で調達し、何度でも繰り返し使えるようにしなくてはならない。
「宇宙ステーションの内装ひとつ見ても、アメリカとロシアでは考え方が全然違います。日本の場合、プライオリティーを置いているのは継続性。僕が月に基地をつくるときは昭和基地やペンギンの営巣地をモデルにしたいと思います」
月面基地が完成するには人ひとりの寿命では足りぬほどの膨大な年月がかかる。自分の死後もプロジェクトはつづく。村上氏の「夢」は「その基地づくりの先祖になること」だ。
「もうひとつ直近の夢は『火星ごっこ』。ぜひプロジェクトに参加したいですね」

講師紹介

村上 祐資(むらかみ ゆうすけ)
村上 祐資(むらかみ ゆうすけ)
極地建築家
1978年生まれ。極地建築家。第50次日本南極地域観測隊・越冬隊員(2008-2010)。南極や宇宙という、極限の環境のもとで浮彫りとなる『人と住まいの係わりかた』の本質を探求するため、日本の南極観測基地〈昭和基地〉で13か月間にわたりミッションスペシャリストとして地球物理観測に従事。他に〈エベレストB.C.(2010)〉〈シシャパンマB.C.(2011)〉〈富士山測候所(2010-2012)〉などのエクスペディションに参加。2004年にはJAXA筑波宇宙センター〈閉鎖環境適応訓練施設〉で行われた閉鎖実験に参加し、現在はNASA・ハワイ大学が計画する〈HI-SEAS(マウナロア火山)〉ミッションと、米Mars Societyが計画する〈Mars Arctic 365(北極デヴォン島)〉ミッションの、二つの国際疑似火星居住実験クルーの最終選抜候補者である。宇宙のための野菜工場プロジェクト《ASTRO FARMER》、子どものためのワークショップ《秘密基地ヲ作ロウ。》主宰。主な美術作品に《MISSION G : Sensing The Earth (ICC、2009-2010)》《d.d.d.(ASTUKOBAROUH、2013)》など。 防災士。文化学院講師。